2011年は日本にとって大きな転機となりましたが、個人的にも人生の転機となった方々が、自分も含めて、周りにも多かった年でした。それは、日本人に限らず、です。2011年の前半は前年の日本公演のおかげで過去最高に音楽的に理解度が高まったチェロのイータイと、フルート・チェロで公式CD録音する事に集中していました。その計画を始めた直後に、私は理屈を超えた、いわゆる『運命の人』に出逢い、やはり常識を超えた出来事に揉まれ始めました。
それと同時に、演奏では今までよりも遥かに強いインスピレーションで操られるように演奏させられる度合いと回数が増え、これは自分の望むところでした。
ただ、その霊感のやり取りは神と自分だけでなく、その『運命の存在』から、自分の持たないもう半分のエネルギーを貰ってる、今まで持った事のない体験をして いました。
イータイとの録音の曲に、今一まだ自分の曲になりきってない不安があった私は、『運命の人』ジョラ(やはりチェロ) にレッスンお願いし、彼にとっては失礼ながら、払いが少なくてイータイを呼べないコンサートで共演するきっかけになりました。そうこうしてるうちに、イータイはその年、日本に呼べないことになり、共演予定だったピアノの小倉幸子さん がキャンセルし、ジョラに自費で日本に来てもらうことに。ジョラはそれまでもずっと「日本に行きたい」とうめき続けていたので大喜びでした。
ところが、飛行機の予約をした直後に日本のあの、3月11日の打撃!
奇しくもジョラはチェルノブイリのウクライナ出身で、その彼を連れて行くことも何か意味があるのか、と思いました。。。
上2つは日本の為のチャリティコンサートにて 。アスカニアフィルハーモニー交響楽団と共演の様子。
右上は出逢った時に『魂の片割れだ』と感じたチェロのジョラと。
ドイツはとても日本に同情し、早速、オーケストラの仲間も日本へのチャリティコンサートを組んでくれたり、歌劇場側からも急遽募 金の為の公演を増やしてくれたりし、街の新聞もテレビもおおいに日本を応援して来てくれ、どのチャリティコンサートも満員でした。
私も、このときは体力気力ギリギリのところまで演奏で尽くさせても らい、そうでなければ何も出来なかった自分。
でも、それを生かしてくれた仲間と歌劇場に涙が出るほど感謝で した。
このチャリティコンサートの数々で、ドイツ側から、日本を必死に応 援するエネルギーがお客さんからひしひしと伝わってきて、自分も日本の今後の運命を自然と祈らされながら演奏する、その状態に 自然にならされていました。こういうのは自分の力でなく、会場に みなぎってる祈りのエネルギーの代表のアンテナになっていた感じで した。
2011年は、その次の、宇宙規模で大変化が起こるという2012年への浄化の年、と言った印象で した。
私にとっては、ジョラとの出逢いで生活と演奏がインスピレーションによって進み始めた事、日本が大浄化にあったこと、が最大の自分の中での革命でした。